February 24, 2005

中州、元気な街


中州
Originally uploaded by ninomiya.
久々の出張。昨日は福岡でした。
10年ぶりくらいではないだろうか。人が多い。タクシーが多い。元気な街で、元気をもらおう。
ここ中洲にも以前一度だけ着た。ちょうどモツ鍋ブームのころで、おいしいモツ鍋屋に連れて行ってもらった記憶がある。モツ鍋うまいもんねえ。
しかし、今回は屋台です。屋台初めてだけど、うまかった。てんぷらに、豚肉の焼き物に、牡蠣に、もちろん九州だから芋焼酎。そして、明太子をお腹に入れたいわしの焼き物も絶品。となりに座っていたやはり出張のサラリーマンとのやりとりも、なぜか屋台だとおもしろい。隙間風どころか、風が通り抜けていく屋台はアウトドアみたい。そうそう穴子の天ぷらは頼み忘れたので、次回の楽しみ。とかいいたいが、次回は3泊しなければならないようだし、へたしたら深夜まで仕事になる予感。中州どころではないだろうな。

February 19, 2005

パソコン通信の終焉

Niftyは、パソコン通信を2006年の3月末で終了すると発表した。


ニフティ株式会社は、1987年4月から運営してきた「ワープロ・パソコン通信」サービスを順次縮小し、2006年3月31日(金)をもって終了します。これまで「ワープロ・パソコン通信」サービスをご利用くださいまして誠にありがとうございました。

まだ続いていたのかと驚かされる一方、一つの時代が終わったのを感じる。
パソコン通信全盛時代、今のYahoo! と同じようなポジションにNiftyServeはあった。8桁のIDが書かれた名刺が交換され、メールと言えばNiftyServeのメールだった。今もこのID付きのメールアドレスを愛用している人はいる。
Yahoo!オークションのようなユーザ同士が物を売り買いするマーケットも既にNiftyServeの掲示板の中に存在し、とても賑わっていた。私も何度か売ったり買ったりで利用させてもらった。「差し上げます」という無償交換もあったのは、金銭欲がどろどろしているY!オークションよりも好きだ。
そして最強の魅力は、NiftyServeのフォーラム。仕事柄IT関係の最新の情報やテクニック、あるいは内部からリークされた情報が何度役に立ったか分からない。湾岸戦争の時には、フォーラムの中からリアルでの行動も起こったと記憶している。もちろん、様々な趣味の達人がシスオペになったフォーラムも、書き込みには感心させられた。
ところで、ニフティの戦略として、インターネットの普及が始まった時点で、フォーラムを完全にインターネットに移行していたら、蓄積された知識と、それをもたらすシスオペを頂点とするユーザ群は他の追随を許さないものであったと思う。Yahoo!オークションは無かったはずだ。今やISPでも第二集団に甘んじているニフティは、もっと早くパソコン通信へのこだわりを捨てるべきだったんじゃないでしょうか。

ニフティはCUG (Closed Users Group)という、いわば小さいNiftyServeを運営できるサービスも行っていて、私は元勤めていた会社では、その会社のパソコン通信の導入と普及を担当した。CUGは、メールでの情報交換、社員同士の交流という面でとても貢献したと自負している。私はインターネット業界に転身したきっかけも、このCUGの担当だった。それでなおさらパソコン通信が終わるというのは感慨深い。

パソコン通信はインターネットと異なり、個人はIDによって特定される。物の売り買いでもちろん詐欺を行うものはあるし、フォーラムが荒れることも多々あったが、今のインターネットよりは若干安全であろう。なんでもありで、信用できないものが多いインターネットの状況と、ますます個人情報を登録することに躊躇する危機感は、むしろパソコン通信のような塀で囲われた会員制のサービスのニーズが高まってくるように思うのだ。
レガシーなパソコン通信という技術が無くなるのは当然のことだけど、NiftyServeのなかで展開されたものはインターネットの時代でも忘れ去られないで、活用されることだろう。

February 15, 2005

元会社の上司が気功整体師の先生

ふと元会社の上司の名前で検索してみると、気功整体師の先生になっていることが分かってびっくり。私よりも先に会社を辞めたとき、福祉関係をやるという話は聞いていたが整体というのは風の噂にもなかった。(「自然気功整体院パオ」
Tさんからは、仕事そのもの以外でも影響を受けた。例えば、片道2時間通勤なんてやればできるとか、私がその会社を辞めて違う道に進もうとした時に頭に浮かんだ「40才から次の人生を考えていた」という言葉。
誰からも慕われる性格。(残業食は“デラ皿”、“デラちゃん”の)大食漢。ITに関してはぴかいち。(この整体師の先生は富士通のメインフレームを操り、有限要素解析のプログラムを書いてたなんて患者の方は想像できないでしょうね。)Tさんの人となりを伝える言葉はいくつも見つかる。何にでも手を抜かない性格だから、通ってる方も満足していることでしょう。

Posted by nino at 01:06 AM | コメント (1)

February 09, 2005

PSPは化けるかも

伊藤穣一さんもブログで書いてたから私も告白しちゃいますが、"PSP"を買ってしまいました。"みんなのGOLF ポータブル" (ソニー・コンピュータエンタテインメント)で遊んでます。

買ってみてまず画面の美しさに関心。これまでの携帯型ゲーム機は目が悪くなりそうな発色の悪さと暗さがひどかったが、PSPはとてもきれいだ。無線LANからインターネットへの接続設定も難なくできた。
なぜゲームなんてほとんどやらないのに買おうと思ったかと言えば、1) デザインがいい、2) 無線LANがついてるのでどんな使い方ができるのか気になる、3) 前々からみんゴルをやってみたかった、から。
3は余談なわけだが、動画や音楽の再生ができるように、このPSPはもはやゲーム機ではなく携帯型エンターテイメント機になっていくんじゃないだろうか。iPodが音楽のダウンロード販売を花開かせたように、感じた魅力1と2で例えばPSPはVODの端末になっていくような予感がする。スゴ録で取り貯めしたビデオを無線で見られるなんてえSONYやらないのでしょうか。あるいは、Yahoo! BBの無線TVなんちゅうのも、このPSPで視聴できるようになったほうが魅力倍増だと思うなあ。

6年ぶりの箱崎


水天宮
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約6年ぶりで箱崎に戻ってきた。いろいろ変わってるところあり、全然変わってないところあり。
いつのまにかエアーターミナルではチェックインができなくなっていた。単なるリムジンバスのバスターミナルになってしまったのね。チェックインカウンタには各航空会社のロゴがそのまま残っているが、カウンタの前は様々なものの販売コーナーになっている。
2階はあまり変わってない。特に飲食店は、ほとんどそのままかな。周辺の会社員がランチを食べにくるからそれなりに成り立つのだろう。そのかわり、エアーターミナル周辺に飲食店はあまり増えてないかもしれない。

6年前は水天宮前駅だけを利用していたが、今回は人形町の駅も使っている。ダイエットのため。それから人形町の雰囲気は悪くないから。夜、水天宮の前には写真の提灯が灯されている。これまたなかなかいい。

しかし、今月中には汐留に移る。この街を歩くのもあとわずか。

February 06, 2005

1975年の自分を空から見る

国土交通省は、カラー空中写真を公開している。

その中で、高校卒業まで住んでいた町の写真を探してみると、昭和50年(1975年)、高校一年のときのものだった。
まぎれもなくそのとき住んでいた家が写っている。まわりの田んぼは稲刈り後のようなので秋だろうか。その田んぼは、今ではスーパーに変わっている。
写真に見える屋根の下に住んでいた。昼だから、学校に行っている時間だろうか。今では行くこともない土地だから、写真を見ていると様々なことを思い出す。

福島県伊達郡伊達町
(原本写真はこちら。ただし2MB以上)「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」より

February 05, 2005

笠間で皿を二枚


工藤真人
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久々に笠間に行き、気に入った皿を二枚購入。

一枚は、工藤真人という人の作品で、外側の形と、白、緑、そして橙色の使い方がパワフルでいい感じ。今回はじめて覗いてみた「ギャラリー舞台」という店で見つけた。この店、現代的なガラス張り、モルタル床のこじんまりした店だが、いいのが並んでいたので次回も覗いてみよう。
もう一枚は、赤い皿。透明感のある色がとても美しい。こちらは毎回覗いている「きらら」で購入。

柏の葉にショッピングモールの計画

「流山発 ちょっと気になるWeblog」によると、2006年秋専門店170店舗が入るショッピングモールの計画があるようだ。 いまいち楽しめないモラージュ柏よりは大きい規模のようなので期待したい。ただ、これであの周辺、特に16号の渋滞はさらに深刻になっていくんじゃないかなあ。 ところで、佐野のアウトレットにはすでに何度も行っているが、場合によると船橋のららぽーとよりも行き帰りの時間は近い。なんとなくショッピングモールをぶらぶらしたい時には、佐野かなあ。